今日第6回志木地区ミニ支部会は会員のMさんを講師に招き、”「枕草子」とその時代”というタイトルで、ミニレクチャーを開きました。志木ミニの地域だけではなく、埼玉県のあちこちからの外来者も参加し、20名が熱心にM講師の講演に耳を傾けました。
高校の歴史の教科書で知っている枕草子の第一段、「春はあけぼの。…」から講演は始まり、資料として準備された年表を見ながら、平安時代の宮中の暮らしがどういうものだったかということを踏まえ、清少納言が何者か、どういう時代に「枕草子」が書かれたかをわかりやすく解説していただきました。最も関心が集まったのが、その時代の通い婚の制度。清少納言は、1回目の結婚相手と離別した後、2回目の結婚をしている。7歳で天皇に即位した一条天皇が10歳で、藤原定子と結婚。その定子のお世話をする女官が清少納言であった。一条天皇の頃、最もすぐれた近臣を集め、安定した朝廷政治であった。その天皇を補佐するのが、摂関家である藤原氏。他氏を徹底的に排斥し、藤原氏の摂関家の地位を不動のものとする。有名な道長の時代(994年~)あたりに、枕草子が執筆された。その執筆のエネルギーは、清少納言が仕えていた定子の影響と考えられている。紫式部は、定子の後に一条天皇と結婚した中宮・彰子の女官であったが、清少納言との直接的関わりはなかったようだ。
Mさんの歴史解説は、埼玉支部の諸々の行事で聞く機会を得ていました。毎回、その時代の生活の中に導いてくれるその解説は、私たちの中に、その時代の具体的イメージを湧かせます。それゆえ支部内で、彼女の歴史解説を多くの会員が期待しています。今日も期待通り、平安朝の男女の交わり、藤原道長の頃の時代のイメージを多少なりとも持てて、枕草子をもっと読んでみたいという思いになり、この講演会をシリーズでやって欲しいという要望も出ました。史料不足で、すべてがわかる訳でないこと、多くは周辺の資料から仮説をたてつつその時代を理解していく作業だということも理解できました。活発な質疑応答も、このレクチャーで、参加者がイメージをかきたてられてのことと思います。
本当にMさん有難うございました。
今日の参加者の中で、病いのため手術して、回復途上にあるSさんがご主人に付き添われて参加してくださったこと。ご夫婦参加は志木ミニにとって始めてのことでしたが、ご夫婦ともに、この講演会を楽しまれた様子。主催者としては、大変うれしいことでした。
高校の歴史の教科書で知っている枕草子の第一段、「春はあけぼの。…」から講演は始まり、資料として準備された年表を見ながら、平安時代の宮中の暮らしがどういうものだったかということを踏まえ、清少納言が何者か、どういう時代に「枕草子」が書かれたかをわかりやすく解説していただきました。最も関心が集まったのが、その時代の通い婚の制度。清少納言は、1回目の結婚相手と離別した後、2回目の結婚をしている。7歳で天皇に即位した一条天皇が10歳で、藤原定子と結婚。その定子のお世話をする女官が清少納言であった。一条天皇の頃、最もすぐれた近臣を集め、安定した朝廷政治であった。その天皇を補佐するのが、摂関家である藤原氏。他氏を徹底的に排斥し、藤原氏の摂関家の地位を不動のものとする。有名な道長の時代(994年~)あたりに、枕草子が執筆された。その執筆のエネルギーは、清少納言が仕えていた定子の影響と考えられている。紫式部は、定子の後に一条天皇と結婚した中宮・彰子の女官であったが、清少納言との直接的関わりはなかったようだ。
Mさんの歴史解説は、埼玉支部の諸々の行事で聞く機会を得ていました。毎回、その時代の生活の中に導いてくれるその解説は、私たちの中に、その時代の具体的イメージを湧かせます。それゆえ支部内で、彼女の歴史解説を多くの会員が期待しています。今日も期待通り、平安朝の男女の交わり、藤原道長の頃の時代のイメージを多少なりとも持てて、枕草子をもっと読んでみたいという思いになり、この講演会をシリーズでやって欲しいという要望も出ました。史料不足で、すべてがわかる訳でないこと、多くは周辺の資料から仮説をたてつつその時代を理解していく作業だということも理解できました。活発な質疑応答も、このレクチャーで、参加者がイメージをかきたてられてのことと思います。
本当にMさん有難うございました。
今日の参加者の中で、病いのため手術して、回復途上にあるSさんがご主人に付き添われて参加してくださったこと。ご夫婦参加は志木ミニにとって始めてのことでしたが、ご夫婦ともに、この講演会を楽しまれた様子。主催者としては、大変うれしいことでした。
コメント
コメント一覧 (2)
万葉集や、百人一首から、平安の時代を眺めるのもおもしろいかもしれませんね。今度は是非それをトライしてください。「夜をこめて、鳥のそらねははかるとも、よにあふ坂の関はゆるさじ」は清少納言の歌ですね。「めぐりあひて、みしやそれともわかぬまに、雲隠れにし夜はの月かな」は紫式部の歌。ついでに絶世の美女小野小町は「花の色はうつりにけりないたずらに、わが身よにふるながめせしまに」美女ゆえの悲しみでしょうか?とにかく平安貴族は恋ばかりしていたように映りますね。ヒマだったのでしょうか?
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