11月11日(水) 参加者17名
あいにくの雨でしたが、午前中は「大木戸遺跡」発掘現場見学で
埼玉県埋蔵文化財調査員 新屋さんがプレハブの事務所で「大木戸遺跡」に
ついてパネル写真や実際の出土品を手に取って見せていただきました。
「大木戸遺跡」は川越線 西大宮駅すぐ近くに所在。南北450m、東西600m
平成12年から発掘調査が進められている。
旧石器時代から近世に至る先人の生活跡がみつかり、
これまで12地点の調査が行われた
時代をこえて当地が生活を営むのに良い環境であった事がうかがえる。
埼玉県に人が住み始めた古い時代の石器(28,000年前)が出土し、
縄文時代後期(4000年前~)、弥生時代後期(約1800年前~) 江戸時代の集落が発掘された
今回の調査区 第13地点では
縄文時代後期の集落、弥生時代末の墓域、江戸時代の遺構が発掘された。
土層の色によって時代がわかる。
* 4基の方形周溝墓が見つかる
弥生~古墳時代にかけて造られたお墓
四角形の周溝(しゅうこう)を堀り、溝の内側に土山をつくり、
この土山に穴を掘り、亡くなった人(地域の有力者)を埋葬
中央の主体部の掘り込みに木棺が安置されたと考えられる。
* 31点の鉄釧(てつくしろ)→(鉄製の腕輪)、紺色のガラス玉が出土
(葬られた人物が身に着けていたと考えられる)
* 周溝から土器が出土
底部穿孔土器
(墓に供える土器と普段使用土器を区別の為底を打ち欠く)
壷、 高杯 (お供えに使われた)
これらの土器は土山の上に供えられたものが溝に落ちたと考えられる。
「骨は出てこないのですか?」
「骨は100年経つと土にもどり、残りません」
* 集落跡
南側の見晴らしのよい部分に15軒の集落跡が見つかる。
縄文時代後期の集落は台地頂部から低地へと続く斜面部に立地する
特徴がある。
縄文時代初期は川越あたりまで海で温暖であったが、
後期は寒冷化し低地利用が盛んになりこのあたりの立地が好まれた。
* 住居跡
壁に沿って丸く柱穴が配置、入口→直線的に柱穴が並ぶ
* 貯蔵穴 直径2.6m 深さ1.7m
(寒冷化が進むと食物の貯蔵が必要となる)
* 縄文土器が出土
深鉢形土器 鉢形土器 注口土器
筒形土偶 (共同作業がふえ、神との結びつきが必要となる)
* 石錘(おもり)まとまって出土
(川で漁猟の網に取り付けられたもの)
以上のようなお話を伺った後、
少し雨脚も弱くなった中、傘をさしながらも、実際の遺跡を見学説明を
新屋さんにしていただきました。
写真や本でしか知らなかった発掘現場は何千年か前に日本人の先祖が
実際生活をしていた場所を目の当りにし、感動を覚えました。
午後は「川越市東部地域ふれあいセンター」に移動
皆で持参したお弁当をいただき、
Mさん、Sさんがおいしいお抹茶をみんなにたててくださり、
思いもかけない至福の時でした。ありがとうございました。
「発掘の楽しみ:歴史のすぐ隣にある考古学」
というテーマで
同窓生であり、現役員のSSさんによる講座がもたれました。
SSさんは川越市教育委員会文化財保護課で埋蔵文化財整理補助員を
なさっています。
歴史 → 文字に書かれたもの
考古学 → 地面を掘って土の中から出てくるもの
歴史にないものも出てくる。
歴史と照合したり、歴史を裏付けたり、
歴史を変えたりする事もある。
歴史と考古学は互いに影響しあい、裏付ける関係
その意味で「歴史の隣にある」と表現をした。
考古学について
人類が残した痕跡(遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問
有史以前 → 文字による記録以前の人類の研究
有史以後 → 文字による記録のある時期、文献史学を補完するものとして モノを通し過去の人々の生活の営み、文化、価値観
さらに歴史的事実を解明する為に文献以外の手段として
非常に重要である。(奈良、平安時代以後)
中世(城館跡 廃寺など) 近世(武家屋敷跡 市場跡など)の遺跡も
考古学の研究分野である
土の中を調べるものであるから
遺物から → 地質学、気象学、動物学、植物学、古生物学
遺構から → 建築学、人口統計学、冶金学、社会学、地理学、民族学等
さまざまの分野と連携が求められる。
文化財保護法について
1949年 法隆寺金堂の火災で建物、法隆寺金堂壁画が焼損した事から
文化保護体制の整備を要望する世論が高まる
1950年 文化財を保存、活用し国民の文化的向上を目的に法律制定
埋蔵文化財 (遺跡、考古資料とほぼ同義)も保護の対象となっている。
遺構について
過去の建築物、工作物、土木構造物などが後世に残された状態
不動産的のもの
遺物について
過去の人類が残した土器、石器などの動産的なものの総称
動かすことができるもの
発掘の工程について
埋蔵文化財包蔵地内で、開発の届けがだされると、
地権者立会いの下で、試掘をする
遺構、遺物が検出されると → 盛り土などで現況保存するか
発掘調査するかに分かれる
発掘調査:調査員・作業員による
1 現況を写真撮影
2 表土除去(遺構・遺物が確認されるまで ブルドーザーなどで)(建設業者)
3 精査 (遺構検出・遺物採集・写真撮影・実測)
4 実測図 (遺構平面図・土層断面図など)
5 埋め戻し
遺物
1 遺物を検出すると、主なものについてはその位置を図面に取り、
場所を配したラベル(荷札)をつけて取り上げる
2 整理室にて、洗浄
3 接合
4 復元
5 実測 (遺物観察)
6 トーレス
現場で取った遺構平面図などと共にト-レスをして発掘調査報告書にまとめる
SSさんが上記の工程を経て組立てた大きな壷を映像で見せて下さいました
皆様の足元の考古の扉を開いて、、、、、
参加者の住まいの近くの遺跡を全部検索してくださり、
パソコンの画面でみせていただきました。
大変興味深く、是非近辺を訪ねてみたくなりました。
SSさんがを用意されていた沢山の本や参考資料じっくり勉強したく、
また同窓生のよしみで、気軽に博識の数々をお聞きしたいと思いました。
(YA)
あいにくの雨でしたが、午前中は「大木戸遺跡」発掘現場見学で
埼玉県埋蔵文化財調査員 新屋さんがプレハブの事務所で「大木戸遺跡」に
ついてパネル写真や実際の出土品を手に取って見せていただきました。
「大木戸遺跡」は川越線 西大宮駅すぐ近くに所在。南北450m、東西600m
平成12年から発掘調査が進められている。
旧石器時代から近世に至る先人の生活跡がみつかり、
これまで12地点の調査が行われた
時代をこえて当地が生活を営むのに良い環境であった事がうかがえる。
埼玉県に人が住み始めた古い時代の石器(28,000年前)が出土し、
縄文時代後期(4000年前~)、弥生時代後期(約1800年前~) 江戸時代の集落が発掘された
今回の調査区 第13地点では
縄文時代後期の集落、弥生時代末の墓域、江戸時代の遺構が発掘された。
土層の色によって時代がわかる。
* 4基の方形周溝墓が見つかる
弥生~古墳時代にかけて造られたお墓
四角形の周溝(しゅうこう)を堀り、溝の内側に土山をつくり、
この土山に穴を掘り、亡くなった人(地域の有力者)を埋葬
中央の主体部の掘り込みに木棺が安置されたと考えられる。
* 31点の鉄釧(てつくしろ)→(鉄製の腕輪)、紺色のガラス玉が出土
(葬られた人物が身に着けていたと考えられる)
* 周溝から土器が出土
底部穿孔土器
(墓に供える土器と普段使用土器を区別の為底を打ち欠く)
壷、 高杯 (お供えに使われた)
これらの土器は土山の上に供えられたものが溝に落ちたと考えられる。
「骨は出てこないのですか?」
「骨は100年経つと土にもどり、残りません」
* 集落跡
南側の見晴らしのよい部分に15軒の集落跡が見つかる。
縄文時代後期の集落は台地頂部から低地へと続く斜面部に立地する
特徴がある。
縄文時代初期は川越あたりまで海で温暖であったが、
後期は寒冷化し低地利用が盛んになりこのあたりの立地が好まれた。
* 住居跡
壁に沿って丸く柱穴が配置、入口→直線的に柱穴が並ぶ
* 貯蔵穴 直径2.6m 深さ1.7m
(寒冷化が進むと食物の貯蔵が必要となる)
* 縄文土器が出土
深鉢形土器 鉢形土器 注口土器
筒形土偶 (共同作業がふえ、神との結びつきが必要となる)
* 石錘(おもり)まとまって出土
(川で漁猟の網に取り付けられたもの)
以上のようなお話を伺った後、
少し雨脚も弱くなった中、傘をさしながらも、実際の遺跡を見学説明を
新屋さんにしていただきました。
写真や本でしか知らなかった発掘現場は何千年か前に日本人の先祖が
実際生活をしていた場所を目の当りにし、感動を覚えました。
午後は「川越市東部地域ふれあいセンター」に移動
皆で持参したお弁当をいただき、
Mさん、Sさんがおいしいお抹茶をみんなにたててくださり、
思いもかけない至福の時でした。ありがとうございました。
「発掘の楽しみ:歴史のすぐ隣にある考古学」
というテーマで
同窓生であり、現役員のSSさんによる講座がもたれました。
SSさんは川越市教育委員会文化財保護課で埋蔵文化財整理補助員を
なさっています。
歴史 → 文字に書かれたもの
考古学 → 地面を掘って土の中から出てくるもの
歴史にないものも出てくる。
歴史と照合したり、歴史を裏付けたり、
歴史を変えたりする事もある。
歴史と考古学は互いに影響しあい、裏付ける関係
その意味で「歴史の隣にある」と表現をした。
考古学について
人類が残した痕跡(遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問
有史以前 → 文字による記録以前の人類の研究
有史以後 → 文字による記録のある時期、文献史学を補完するものとして モノを通し過去の人々の生活の営み、文化、価値観
さらに歴史的事実を解明する為に文献以外の手段として
非常に重要である。(奈良、平安時代以後)
中世(城館跡 廃寺など) 近世(武家屋敷跡 市場跡など)の遺跡も
考古学の研究分野である
土の中を調べるものであるから
遺物から → 地質学、気象学、動物学、植物学、古生物学
遺構から → 建築学、人口統計学、冶金学、社会学、地理学、民族学等
さまざまの分野と連携が求められる。
文化財保護法について
1949年 法隆寺金堂の火災で建物、法隆寺金堂壁画が焼損した事から
文化保護体制の整備を要望する世論が高まる
1950年 文化財を保存、活用し国民の文化的向上を目的に法律制定
埋蔵文化財 (遺跡、考古資料とほぼ同義)も保護の対象となっている。
遺構について
過去の建築物、工作物、土木構造物などが後世に残された状態
不動産的のもの
遺物について
過去の人類が残した土器、石器などの動産的なものの総称
動かすことができるもの
発掘の工程について
埋蔵文化財包蔵地内で、開発の届けがだされると、
地権者立会いの下で、試掘をする
遺構、遺物が検出されると → 盛り土などで現況保存するか
発掘調査するかに分かれる
発掘調査:調査員・作業員による
1 現況を写真撮影
2 表土除去(遺構・遺物が確認されるまで ブルドーザーなどで)(建設業者)
3 精査 (遺構検出・遺物採集・写真撮影・実測)
4 実測図 (遺構平面図・土層断面図など)
5 埋め戻し
遺物
1 遺物を検出すると、主なものについてはその位置を図面に取り、
場所を配したラベル(荷札)をつけて取り上げる
2 整理室にて、洗浄
3 接合
4 復元
5 実測 (遺物観察)
6 トーレス
現場で取った遺構平面図などと共にト-レスをして発掘調査報告書にまとめる
SSさんが上記の工程を経て組立てた大きな壷を映像で見せて下さいました
皆様の足元の考古の扉を開いて、、、、、
参加者の住まいの近くの遺跡を全部検索してくださり、
パソコンの画面でみせていただきました。
大変興味深く、是非近辺を訪ねてみたくなりました。
SSさんがを用意されていた沢山の本や参考資料じっくり勉強したく、
また同窓生のよしみで、気軽に博識の数々をお聞きしたいと思いました。
(YA)
コメント
コメント一覧 (5)
ssreport
がしました
ssreport
がしました
雨が降ったり、プロジェクターが使えなかったり、と、大きな悪条件があったにもかかわらず、大勢の皆様が参加され、
喜んでいただきまして、私も感激しております。
次回があれば、またSS精神で がむばりむぁ~す!
ssreport
がしました
ssreport
がしました
私も参加していたのですが、お陰様でとても良い復習ができました。
「百聞は一見に如かず」、縄文、弥生の土器を目の前で拝見でき幸福なひと時でした。
ssreport
がしました